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灰谷さんの遺志

中学三年生の女の子の話。
受験に向けて、もう他の子は本腰を入れて勉強に取り組んでいる一方で、彼女はいつも、ボンヤリとした様子で、自習室での様子も、手は動いているけど頭が動いているように感じられない。

同じ中学のその子の友達が何人もウチの塾のいて、一見すると仲良くしてはいる。ただ、その仲良くする仕方が、その子については、酷く「ベッタリ」としている。

一緒の時間に帰るよう友達に強要する。休憩時間も、何時間も相手に付き合わせて、それが叶わないとなると、強い口調でキレるそう。

受験の成功に向けて仕事をしている私たちからすれば、本当に困った存在。本人だけが報いを受けるだけならまだ良いけれど、周囲の子たちの足を明らかに引っ張っている。

これで共倒れを食う羽目になってしまっては、真剣に取り組みたいと思っている他の子たちがあまりに可哀想。

こういう見方をすれば、その子は完全に「悪者」「厄介者」「問題児」扱いになってしまう。

こういうときこそ、私たち大人は、慎重に、冷静にならなくてはいけない。そして、思い出さなくてはいけない。どんな子であっても、「誰かの宝物である」ということを。今が仮にそうでなかったとしても、「将来誰かの宝物になるかもしれない」ことを。

私はその子を大事にすることにした。
猫可愛がりしているわけではない。
「疑わない」「言い分を聞く」「その子との時間を楽しむ」とか、普通の対応をするだけ。

以前はよくその子に私も目くじらを立てていたけれど、それをやめた。大事にするようにした。そうすると、不思議とあたしの心の中にその子に対する好意が湧いてきた。愛情と呼べる程の代物ではないとは思うけれど(笑)

その好意が伝わっているのか、あたしのかける言葉に、彼女は笑顔を向けることが多くなった。

人は、特に女の子は、自分を大事にしてくれる人間の言葉に耳を傾ける。例えどんなに立派な人間であっても、自分を否定する相手の言葉は受け入れない。受け入れたくない。

教育の立場にあって思うのは、多数の利益のために少数を否定したり、排除したりしていれは、それをした本人そのものが、人としてダメになるということ。少なくとも、教育者としては失格だということ。

少数を否定、排除するなんて、素人でも出来る。教育の仕事の良し悪しは、そんな少数をどう扱うかが分水嶺になるんだろう。

こう考えてしまうのは、きっとあたしの中に灰谷健次郎さんの影響が大きく残っているからだと思う。

甘いとか、非合理だとか言われるやり方であることはよく分かる。結果を軽く見ているわけではない。

誰も置き去りにしたくない。
あたしは誰よりも欲張りなのかもしれない。