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子供が尊敬を寄せる大人

大人と子どもがどこで接点を持つか。

まずメインとしては、第一に「親と子」、第二に「学校の先生と生徒」。サブでは「親戚の人」とか「近所の人」。あとあるかな?

塾の先生というのは、微妙な立ち位置にある。ちゃんと「大人らしく」子どもらへ「教育」と「指導」をビシっと出来てる人達は沢山いれば、中には子どもぶった対応で子供ウケを狙う人もいる。「大人であること」を放棄して、わざと「いい加減さ」や「未熟さ」を前面に出して、「自分は君らの仲間だ」という風に装う。

どちらも仮面を付けていることに違いない。
前者は大人ヅラという仮面で、後者は子供ヅラという仮面。

それをしなければ立ち行かない場面も実はある。塾講師は、ある程度そのスタンスに柔軟性が求められるのだと感じる。保護者の方も、学校の先生とも親とも違う接し方を、私たちに求めている。

じゃあ、子供達は何を私たちに求めているか。それは「親しみの持てる尊敬できる大人」じゃないかと見ていて思う。

子供らにとっての尊敬とは何か。
それはその子によって違っている。「カッコイイ」「綺麗」「頭が良い」「教えるのがうまい」「公平で寛大」色々だと思う。

ただ、中でも一番大きいのは「面白い先生」。「笑いを生み出せる大人」に対する彼らの期待感、親近感、尊敬の念はとてつもない。

笑いというもののステータスは、多分どの時代でも重要視されていると思う。世間的なものはともかく、少なくとも子供らの中では、不動の一位「おもしろい先生」。

「うちの塾にメチャクチャ勉強わかりやすく教えてくれる先生がいるんだ!」よりも
「うちの塾にメチャクチャおもしろい先生がいるんだ!」の方が彼らのアンテナに引っかかりやすい。

あたしは笑いを狙ってはいない。
でも、子供らが何を言われると笑うのかを知っている。(下ネタではないよ(笑))
その子供らの笑いのネタというのは、「彼らの内面や行動に関すること」。

あたしは子供らの言動にいつも興味があるし、それをおもしろいと思っていて、それを毎回お笑いコンビのツッコミ役宜しくツッコミを入れているだけ。

どんな内気な子でもそれですぐに笑う。
笑いが生まれることで、お互いの距離感や流れる空気が一気に変わる。

そういえば、ある漫画で「流れを変えるのは『笑い』と『許し』」とあったのを思い出す。それは人と交流が絶えない職種にあるからか、沁みる言葉。

難しいのは『許し』の方。
教育の仕事にあると、つい子供の未熟さを揚げ足取りして責めてしまいがち。

もう少し『許せる大人』になりたいと思う。