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自分を孤独にするもの

誰かが言っていた。「自分に対して一番厳しいのは、実は自分自身なんです」と。

 

そうかもしれない。成長すると自分を客観視するようになる。自分の主観に偏りがあるのでは、という疑いが湧く。それが過度に行き過ぎれば自己嫌悪に襲われて、自分で自分を追い詰めて行き場を失うこともある。しかも誰もそんなことを求めていないにも関わらず、だ。

 

自分を極度に追い詰めることは、本当に良くないと思う。自分という味方を失った人間は友達が1人もいないよりもずっと孤独だとあたしは思う。これ以上の孤独はない。かつて経験したことがある。

 

東京に来た目的は、映画の現場で仕事がしたかったからだった。あたしは映画の美術監督になるのが夢だった。大学時代にしきりに映画美術協会の主催するワークショップに足を運び、現役で仕事をしている美術監督さんたちと顔を繋いでいた。福岡と東京の往復にはお金がかかったし、ワークショップはおよそ3、4日はあったからホテル代もバカにならない。ネットカフェに泊まるか、そんな余裕もないときは、24時間営業のファーストフード店で夜を過ごしたこともある。

 

それを辛いとも思わなかった。どうしてもその仕事がしたくて、それ以外の選択肢など当時のあたしには皆無だったから。とにかく必死だった。そして運良くとある美術監督さんが縁を繋いでくださり、T映撮影所の美術スタッフとして雇われることになった。

 

撮影所の現場は男社会だし、厳しいことも承知の上だったし、どんなことがあろうとも、努力と元気で乗り越えようと思っていた。

 

そう、気持ちがあれば乗り越えられると思っていた。でもそれは甘い期待で、簡単に打ち砕かれた。今思えば当たり前のことだと笑いたくなるけれど。

 

気持ちなどと曖昧なものに縋り付いていた愚かなあたしは、知識や能力を上げることを疎かにしていた。それは経験を積み上げれば勝手についてくるものだと思い上がっていた。いや、「知識や能力を本気で上げる」という意識とそのための思考回路、行動力があればそれはその通りだったと思う。ただ、大学生生活を終えたばかりのあたしにはそんなものは備わっていなかった。

 

経験が積み上がる前に、「役に立たない」「足手まとい」という周囲からの視線や言葉、そして何より自分の内側から激しく執拗に責め立てる声に心が折れた。

 

心が辛すぎて、誰とも連絡を取れなかった。その仕事を辞めて、1人で1週間くらい部屋に引きこもって寝てばかりいた。寝たら幾らか癒される気がした。起きていたら自分の内側から責め立てる声がして、それが止まず、過去の様々な辛い思い出がフラッシュバックして、枕を口に当てて叫び声を上げていた(笑)

(#゚ロ゚#)ヤバイね(笑)

 

そこから自尊心を取り戻すのには何年もの月日を要した。その間もまた打ち倒されるようなことが幾度もあったし、励まされるようなこともあった。文学や映画も心を支えた。色んな人との出会いや出来事が積み重なり、時間によって傷は癒された。と思うけれど、今でも思い出すとかなり辛いから思い出すのは避けている(笑)

 

最初の書き出しの時点では子供らの話をしようと思っていたのに、気がついたら自分語りになってしまってる。長いし。

(#゚ロ゚#)ハズいんだけど。

 

まぁいいや(笑)