デザインと教育の仕事

大学ではデザインを勉強していた。主にビジュアルデザイン。デザインと芸術を混同する人がいるけれど、この二つは根本的に違う。デザインは他者をロジカルに誘導するものであり、芸術は理屈を超えて他者の心の琴線に触れるもの。

デザインには理屈がある。
例えばファストフードの店。暖色系の色味が多いのは、その色味が客の食欲を煽り、また客のアドレナリンを促し回転率を上げるのに効果的だから。
一方で夜のバーなどお酒を扱う店。寒色系が多いのは、その色味が客の気持ちをリラックスさせ、長く滞在させることで飲み物の売り上げを上げるのに効果的だから。

デザインは強い意図、目的があって設計されていて、それが効力を発揮していればそれは良いデザイン、そうでなければ悪いデザインということ。

良いデザインを生み出すには、形、質感や色味が人間の五感(特に視覚)+思考に与える影響をある程度知っておくことと、論理的で現実的な想像力が必要だと思う。

今教育の仕事をしていて、デザインの勉強をしていて良かったと心から思う。

ウチの塾は個別指導で、先生一人につき生徒が最大二人までついて授業を受ける。その一人一人の授業の全ての準備を、あたしがほぼ一人でやっている。

それぞれの授業で何をするか、どの教材を一時間でどれ位するのか、授業が終わった後の復習に何を課すのか、宿題をどれ位出すか・・・。全部あたしが決めてやっている。

この作業ほど骨が折れることはない。そもそも生徒一人一人の実力も目的も性格も年齢もバラバラで、かつ担当する先生のタイプや実力によっても、使う教材や準備の仕方に配慮が要るから。

一人一人について考えなくてはいけない。そうなったときに、大学で培った「デザイン力」を発揮する。

例えばある小学生。
落ち着きがなく集中力にかけた子。学力的にも平均的学力よりはいくらか遅れがち。ただ、その子は事あるごとに目を見開く。そういう子は好奇心が旺盛なことが多い。
そしてその子を受け持つ担当のアルバイトの大学生の先生。優しい語り口と分かりやすい説明、また暗記させるだけでなく、「考えて解く」ということを大事にしている先生。

この二人で理科の授業をするとなると・・・
使うべき教材は、長い概要や解説が付いた、一問一答形式で白黒の一般的なワークブックではなく、イラストがふんだんに取り入れられ、解説が丁寧で分かりやすく、見開き1ページの内容は少なめの、カラーの教材を使うのが良い。

白黒の一問一答形式の問題は、むしろ宿題にするのが良い。授業で生徒の興味関心は十分に引き上げられているはずだから、あとはそれが呼び水となって、授業と同じ単元から出された宿題にも抵抗なく挑めるだろう。次の授業でその宿題の答え合わせをしてもらえば完璧。

・・・そんなことを一人一人に考えている。
あたしがそうやって「デザイン」した授業は、そうはいっても思い通りにいくことは多くない。生徒が別の要望をすることもあるし、先生がその場の判断でやることを変えるときもある。それはそれで別に良い。

ただそのデザインが思惑通りに行った時は、内心すごく気持ちが良い(笑)それひとつあるだけで、「今日は良い仕事ができた!」ってなる。
(#゚ロ゚#)へへん!

あたしはこの「デザイン力」を当たり前に使っているけれど、それが実は、当たり前ではないのだと同僚たちを見ていて思う。あたしが当たり前に駆使しているこの力は、大学やその他、これまでの人生で培ってきたオリジナルのものであり、それが無い人の方が多いのだと。

この力はコミュニケーションの場でも応用ができる。伝えたいことを伝えるために選ぶ言葉、伝達手段、表情、声の抑揚。これも一種のデザインと言える。

「デザインなんて勉強してて将来食っていけるのか?」
という問いはあると思う。世に出回っているデザイン職というのは確かに生業にするのはかなり大変だと思う。だけど、デザインを勉強する上で培う知識や視点、リアルでロジカルな想像力は、あらゆる職種に応用が出来る。

そんなことをつらつらと考えた一週間でした。
(。-_-。)むぅ