思考力をネグレクトされ続けた子供の窒息

三者面談をした。
私と小学6年生の男の子とその母親。

中学受験をするかどうかで今後の授業方針は大きく変わるから、その話し合い。

男の子は遠くを見つめて口は半開き。話の半分も聞いていない。

母親はそんな彼を見つめ、ため息をつきながら、どうしたらいいものやらと首をふる。

私はその何とも言えない虚無に向かって、それでも何かないかと探り、投げかけ、もがいてみる。

男の子はそもそも中学受験などする気はない。勉強も嫌い。将来についてなど考えたくもないという様子。

母親も中学受験にこだわりがないのに、周囲がそうしているからという理由だけで、中学受験をさせたほうがいいのではとないかと、思考をフワフワさせている。

父親は、話に聞く限りそれについては投げやりのようだ。「本人にやる気がねぇなら意味ねぇよ」だそうだ。

うん。当事者の誰にも意志がない。
まさに虚無に向かって話をしているようなもの。

将来のことを考えた時に、もちろん彼が今のままでは良いとは全く思えない。思考することそのものを放棄した人間の行く末は、考えるだけでも恐ろしいもの。

今のうちから思考することの訓練は必要だと私は告げた。現に男の子は、私の話す言葉の意味が半分も理解できていない。(決して難しい言葉は使っていないのだけれど)いや、理解したくないだけかもしれない。

読解力そのものが致命的に欠けている。そこから鍛えていく必要があるみたい。

ただ、そうだとするなら、その子にとって勉強すること、考えることが苦痛になるのも仕方がないことと思える。今まで、さぞ辛かったことと思う。先生の話もよく分からない。教科書に書いてあることもよく分からない。相手の伝えたいことも汲み取れない。そんな自分に周囲は苛立ち、どなり、ため息を吐かれ続ける日々。

面談の途中から、白目を剥き始めた男の子。
もういいよ。解放されたい。早く帰ってゲームでもして癒されたい。そんな空気がプンプンするなかで、無様にあがき続けるあたし(笑)

めっちゃ疲れた(笑)
結局当たり前にその場で受験するかどうかなど決められるはずもなく。決定は夏に持ち越し。でも夏から受験勉強始めたところで、その子にさらなる苦痛を与えるだけに思えて、どうか受験を諦めてくれことを切に願う自分がいる。

今はもう、基礎力をつけていこうよ。ゆっくりでもいいから。考えることを楽しめるようになるための、下地をつけようよ。今からなら、まだ間に合うから。命と生活が保障されているうちに。タダで勉強ができるうちに。確かな力を手に入れよう。

まだ光を見せてあげられなくてゴメンね。
あたしも頑張るよ。