今日は都立高校の一般入試!

今はちょうど英語の試験が終わって昼休みに入っている頃。

みんなの国語と数学と英語はどうだったろう。メンタルやられてなきゃいいんだけど。一番体力奪われる科目が三連続で真っ先に来るもんだから。

 

昨日は「明日万全の調子で臨めるようにみんなを勇気付けて早めに帰宅させるデー」でした。

 

あたしはヘタ打っちゃった。

一人もとから精神的に不安定で学校も不登校気味の子がいるんだけど、昨日その子が英語の過去問を解いていて、それがあまりにもボロボロだったので、「これはイカン!」と思い、

「今は過去問解くより、暗記事項を振り返った方がいいんじゃないかな?」

と言うと、その子は

「暗記はもう嫌だ」

と言う。

「そう?でも積み残しがあるとあとで後悔すると思うよ。あたしはやっといた方が良いと思うんだけどね。今過去問やっても気持ちが乱されるだけよ」

と言うと、

「別に気持ち乱されて良いし。暗記はやんない」

とどこか投げやりな態度。

「じゃあお好きにどうぞ」

と言うと、ふてくされた顔で

「もう帰る」

と言って帰っていった。

 

うーん。こういうとき、あたしって下手っぴだなぁって思う。人を励ます類の言葉がいつもうまく出てこない。

 

あの子は大丈夫だったろうか。

併願も取らずに都立高校一本で勝負しているからなぁ。

 

もやもやしちゃう。

うまくモチベ上げられなくてゴメンね。

働く女たち

今日は仕事がひと段落して、生徒もみんな帰宅し、さぁ、帰り支度をして帰ろう、と思っていた矢先、オーナーから「ちょっと」と呼ばれて座らされた。
そばにはオーナーの妹さんで、あたしと同い年の同僚がいる。オーナー曰く、

「A先生(オーナーの妹さんの呼び名)は、今一緒に住んでいる人(彼)との兼ね合いもあって、午前出社の夕方上がり、土日休みを希望しているんです」

そして3月からはそういうシフトでまわしていくことになったと。それによって他のスタッフの休みの曜日も変わるだろうけれど、その代わり負担の大部分を占めていた雑務をそのA先生が請け負うことで、他のやりたいこと(自身の勉強とか)に時間を割けますよ、と。

このとき感じた感情は何か。
案外この人(Aさん)ちゃっかりしてるなぁという驚きと同時に、
『この人はこっち側には来ないんだ』
という寂しさ。

私とAさんとは、3ヶ月ほど私が先に入社しているものの、殆ど同期に近い。肩書きも後々ではあるけれど私と同じになり、その時から「同じ責任を背負ってやっていく女性の仲間」になるのだと思っていた。

けれど、彼女からは一向にその責任を負う気配は感じられなかった。彼女の仕事ぶりからは
「同じ役職としてAIさんのサポートには回ります。これ以上自分の仕事は広げも深めもしませんけどね。基本現状維持で♡」
というスタンスが滲み出ていた。

確かに彼女のサポートのお陰で私はいくらか楽になれたし、助けられたことも何度もあった。けれど私は正直、もっと上の仕事に迫ってきてほしかったというのがあって、その距離の取り方に若干ジリジリしていた。

そして今夜の出来事。
分かってはいたけれど、寂しい(笑)
いや、これが働く女性の普通の在り方なんだろうと思った。仕事はそこそこに、家のこともあるからそこにも比重を置いて、うまくバランスとって。

いいんだけどさ。いいんだけどね。

・・・いいんだけどさ!(笑)

この先に進んだ方が絶対仕事面白いよ?
責任は重くなるけど、喜びやワクワクはこっち側に進めば進むほど沢山あるよ?!

なぁんてね(笑)何が幸せかはその人にしか分かんないからね。家に時間を割きたいのなら、それでしょうがないよね。でもさ、子供が出来たわけでもなく、まして結婚したわけでもないのに、もう守りに入っちゃうの?!?!
早くない?!?!

っていうのもある(笑)

でも、きっと大方の人はこうなんでしょうね。
「仕事はそこそこでいい」
ってね。

でもそこそこでやる仕事なんてつまんない。判を押すような仕事に、心は躍動しない。

いいけどさ。いいけどねっ!
一緒にこの先見たかったけどね!!
(*`皿´*)ふーんっ

男は黙って〜が良い

寡黙な男の人に惹かれる。
普段は静かで、口を開くときに、ゆっくりしっかり手短に、柔らかく話す人の言葉は、つい耳を傾けたくなる。
「ん?何を話すのだろう?」
と好奇心が湧く。

何を考えているのか探りたくなって、「ねぇねぇ」ってしたくなる。寡黙な男の人は話をはぐらかさないところも良い。何かを尋ねると、まっすぐ率直な返事をしてくれる。すぐに答えが出ないときは、視線を外して静かに考える。その顔も素敵(笑)

下手するとずっと考えているときもあって、無視されたのかと思う程。「え?無視?」と聞くと、「違うよ、考えてるんだよ」という返事。「そうなの?」と見つめてみると、ちょっと困ったように笑う。

寡黙な人の良いところは、余計なことを言わないところ。おしゃべりな人は言わなくて良い余計なことまで言ってその場を散らかしていく。あたしもつい余計なことを言ってしまうから気をつけたい(笑)

でも寡黙な人は大事なこともなかなか言ってくれない。それでジリジリするときもある。でも顔に出てるから、考えていることは結構わかる。よくよく行動を見ていれば、誠意があるのか、愛情があるのか、すぐにわかるもの。

普段やたらに主張しない分、時折見せる男らしい負けん気、意地や見栄が見えると、「可愛い!!」って思ってしまう。愛さずにはいられなくなる(笑)

あの人にまた会いたいなぁ
(*˘︶˘*).。.:*♡

贅沢な1日

昨日は昼と夜とで、それぞれ別のお友達と食事をした。

昼に会った友達は小学1年生の時からの友達。当時は近所に住んでいて、登下校はいつも一緒だった。小学校からの友達は、その子だけ。当時もっと色々友達はいたのだけど、その子たちとの関係は自然消滅した。

今ではその子は名古屋に住んでいて旦那さんと子供と犬が一匹いる。そのために行動の制限が多くてなかなか気軽に会えなくなってる。今回は東京の旦那の実家に帰省していて会えた感じ。

ふるいにかけられて残ったその友達との時間はやっぱり楽しくて癒された。不思議なのは、特別いい話や深い話、ためになる話、愚痴り合いや恋愛話とかをしたわけではなく、目の前の料理や今の現状とか、一緒に連れてきた子供や犬についてのツッコミとか、そういう話だったこと。大抵その子とはそうなる。

でもそれで良かった。大事なのは、会って直接会話を交わして、同じ空間を一緒に楽しむこと。友達だけじゃなく、恋人とのデートでも、私はそれが一番大事に思う。

夜に会ったお友達は、もう50を超えた女性。前の職場で仲良くなった人。お子さんが2人いるけれど、私のことを娘のように可愛がってくれている。

1年ぶりに会ったけれど、変わらず元気でいたことが何よりも良かった。この人との飲みは、子供の話や、仕事の愚痴り合い、恋愛話をすることが多い。お酒が入ると人は生々しい話が楽しくなる。お互いの近況が知れて、それを共有して、頷きあう。そんな時間。

それもすごく良かった。本当に気心が知れている人でなければ、そういった話もただ下品だったり表面的でつまらなかったりするけれど、その人とだから、実感や共感が強くなって、楽しい。

そのあと、近所のスナックにカラオケをしにいった。その人の地元なので、その人と繋がりのある人たちが集まっていて、そういったおじ様やおば様方に囲まれつつ、笑ったりしみじみしたりしながら、贅沢な時間を過ごした。

そこにいた、もとPTA会長のおじ様の歌声がめちゃめちゃ良い声で、胸に沁みた。おじ様の歌声に聞き惚れたのは生まれて初めてかもしれない。

その人は50半ば、もう1人、その辺りの地主をやってるおじ様もいて、その人は60越え。どちらもあたしのお友達と長い付き合いがあって、楽しくお話をしてくれた。

2人のおじ様は、色っぽくてとても素敵だと思った。格別に容姿が整っているとかではないし、中年らしい肉付きの身体で、年相応の見た目ではあるけれど、でも色っぽい。合いの手やギャグも絶妙だった。こういう人はいつまで経ってもモテると思う。

面白かったのが、あたしが歌っているときは、ニコニコして頷きながら聞き入ってくれていたのに、他の男性客が歌いだすと途端に嫌そうな顔をしていたことだった(笑)男の人って面白い。

最後はそのお二人が私たちの分まで支払いをしてくれていた。最後まで紳士(?)な対応に感動した。また会いたいと思える人たちだった。

人との繋がりや出逢いに対する喜びやありがたさをひしひしと感じた、そんな日だった。

東京の街は、冷たいとかってよく言われるけど、私が出逢ったのは、人情に厚い、優しく小粋な大人たちだった。

10年先に答えがあるのかも

私はもう世間でいうアラサーで、仕事でもそれなりに責任ある立場にある。ただ、社会経験は同世代に比べると薄く広くで、未だアマチュアの域を脱しきれていない。

責任の重さに対して自分の実力が追いついておらず、広い海の中でガボガボと溺れているような感覚がある(笑)

そんななかで、うまく答えの出せない課題は山積していく一方。もちろん一朝一夕で答えを出せると思うほど驕ってもいないし若くもない。でも何となくあっちに行ったりこっちに行ったりとイマイチ定まらない気持ち悪さから抜け出したいって思う。

昨日はある人たちと忘年会をした。人数は5人。そこに私の一回り年上のお兄さんがたも来ていて、仕事の話や恋愛の話で盛り上がってとても楽しかった。

私はその場で悩み相談なんてことはしない。スパイスの効いた他愛ない会話でお酒とおつまみを一緒に流し込むあの空間と時間だけが大事だから。

でも、お兄さん方の話は、雑談にしても、学びが深すぎる(笑)今の私の課題に対する答えを既に持っていて、それをさらりと披露してくれる。彼らの言葉は何よりも沁みる。

そこで思ったのが、今の自分の中の問いに自分から答えが返ってくるのは、10年後になるのかもしれないということ。実際経験値の豊富な3つ年上のオーナーでさえ、私の問いへの明確な答えは持ち合わせていない。いや、敢えて言わないだけかな?でも解決には至っていないしな(笑)

アラフォーのあのお兄さん方は、もうそこへしっかりと答えを出しているし、それに自身も納得もしている。

10年後のあたしはどんな答えを出すんだろう。10年後になっても「うーん、これは答えのない問題だなぁ」なんて言ってたら嫌だなぁ(笑)

自分を孤独にするもの

誰かが言っていた。「自分に対して一番厳しいのは、実は自分自身なんです」と。

 

そうかもしれない。成長すると自分を客観視するようになる。自分の主観に偏りがあるのでは、という疑いが湧く。それが過度に行き過ぎれば自己嫌悪に襲われて、自分で自分を追い詰めて行き場を失うこともある。しかも誰もそんなことを求めていないにも関わらず、だ。

 

自分を極度に追い詰めることは、本当に良くないと思う。自分という味方を失った人間は友達が1人もいないよりもずっと孤独だとあたしは思う。これ以上の孤独はない。かつて経験したことがある。

 

東京に来た目的は、映画の現場で仕事がしたかったからだった。あたしは映画の美術監督になるのが夢だった。大学時代にしきりに映画美術協会の主催するワークショップに足を運び、現役で仕事をしている美術監督さんたちと顔を繋いでいた。福岡と東京の往復にはお金がかかったし、ワークショップはおよそ3、4日はあったからホテル代もバカにならない。ネットカフェに泊まるか、そんな余裕もないときは、24時間営業のファーストフード店で夜を過ごしたこともある。

 

それを辛いとも思わなかった。どうしてもその仕事がしたくて、それ以外の選択肢など当時のあたしには皆無だったから。とにかく必死だった。そして運良くとある美術監督さんが縁を繋いでくださり、T映撮影所の美術スタッフとして雇われることになった。

 

撮影所の現場は男社会だし、厳しいことも承知の上だったし、どんなことがあろうとも、努力と元気で乗り越えようと思っていた。

 

そう、気持ちがあれば乗り越えられると思っていた。でもそれは甘い期待で、簡単に打ち砕かれた。今思えば当たり前のことだと笑いたくなるけれど。

 

気持ちなどと曖昧なものに縋り付いていた愚かなあたしは、知識や能力を上げることを疎かにしていた。それは経験を積み上げれば勝手についてくるものだと思い上がっていた。いや、「知識や能力を本気で上げる」という意識とそのための思考回路、行動力があればそれはその通りだったと思う。ただ、大学生生活を終えたばかりのあたしにはそんなものは備わっていなかった。

 

経験が積み上がる前に、「役に立たない」「足手まとい」という周囲からの視線や言葉、そして何より自分の内側から激しく執拗に責め立てる声に心が折れた。

 

心が辛すぎて、誰とも連絡を取れなかった。その仕事を辞めて、1人で1週間くらい部屋に引きこもって寝てばかりいた。寝たら幾らか癒される気がした。起きていたら自分の内側から責め立てる声がして、それが止まず、過去の様々な辛い思い出がフラッシュバックして、枕を口に当てて叫び声を上げていた(笑)

(#゚ロ゚#)ヤバイね(笑)

 

そこから自尊心を取り戻すのには何年もの月日を要した。その間もまた打ち倒されるようなことが幾度もあったし、励まされるようなこともあった。文学や映画も心を支えた。色んな人との出会いや出来事が積み重なり、時間によって傷は癒された。と思うけれど、今でも思い出すとかなり辛いから思い出すのは避けている(笑)

 

最初の書き出しの時点では子供らの話をしようと思っていたのに、気がついたら自分語りになってしまってる。長いし。

(#゚ロ゚#)ハズいんだけど。

 

まぁいいや(笑)